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GOOGLEのALPHABETは「CHANGE AGENT」へと変身するためのものなのか?

今さらいうまでもなく「知の巨人P. F. Drucker教授」の考え方は、常に先々を予見しており、どの言葉も至言という表現がぴったりで、示唆に富んでいる。昨日のGoogleのホールディングカンパニーAlphabet設立のニュースを聞いて、改めてドラッカー教授の著書「Next Society(ネクスト・ソサエティ)」に出てくる「Change Agent(チェンジ・エージェント)」のことを思い出した。

 創業者のGoogle BoysLarry Page & Sergey Brin)の2人がどこまでドラッカー教授の言う「チェンジ・エージェントへの変身」を意識したかどうか不明だが、以下は、ダイヤモンド社刊の上田惇生訳「Next Society (ネクスト・ソサエティ)」の第1部第7章に出てくる文章で、これをを読み返すと、彼らのアタマに、こうした考えがよぎったような気がする。

「チェンジ・エージェントたれ」

組織が生き残りかつ成功するためには、自らがチェンジ・エージェント、すなわち変革機関とならなければならない。変化をマネジメントする最善の方法は、自ら変化をつくりだすことである。経験の教えるところによれば、既存の組織にイノベーションを移植することは出来ない。組織自らが、全体としてチェンジ・ エージェントへと変身しなければならない。

そのためには、

1に、成功していないものはすべて組織的に廃棄しなければならない。

2に、あらゆる製品、サービス、プロセスを組織的かつ継続的に改善していかなければならい。すなわち日本でいうカイゼンを行わなければならない。

3に、あらゆる成功、特に予期せぬ成功、計画外の成功を追求していかなければならない。

4に、体系的にイノベーションを行っていかなければならない。

 チェンジ・エージェントたるための要点は、組織全体の思考態度を変えることである。全員が、変化を脅威ではなくチャンスとして捉えるようになることである。

説明の必要もないぐらいに、よく知られた考え方だが、私が改めて注目したのは「変化をマネジメントする最善の方法は、自ら変化をつくりだすことである」という指摘である。これは、成功し続けている組織(=企業)が中々実行できない部分で、これを実行できなかった企業は、俗に言う「大企業病」に陥る。この症状は日米を問わず、世界中に蔓延するビジネス疾患で、大きく成長した企業が一度はこの病理に蝕まれ、うまく脱しきれる場合もあるが、脱しきれずに、ビジネスの成長がとまり、市場の変化に対応できず、沈んでいく、大企業も多々ある。

Googleは、Alphabetの傘下に「Moon Shot Projects(月旅行のように野心的なプロジェクト)」と呼ばれる「Google X Lab」、「Calico」、「Life Sciences 」といった、自律走行車やバイオテクノロジー分野の革新的な事業を組み入れて、本体のインターネット事業サービスから切り離す。CEOにはPage、プレジデントにはBrinが就任して、本体のGoogleから独立して運営していく。このニュースを受けて、Googleの株価は昨日4.10%増の$690.30と上昇した。投資家は、この経営判断を、Warren BuffettBerkshire HathawayスタイルのGoogleのコングロマリット化とみなし、先が見えにくくInnovativeであるがRiskyな「Moon Shot Projects」が、いつでも切り離し可能となり、さらに事業形態の「Transparency」が高まると、好意的に判断したようである。

今後のAlphabetの動きで、様々な評価が出てくると思うが、私は創業者2人にとって、「Innovation」の持つ意味は大きく、広告収益に依存する既存のGoogle本体のビジネスの中で、彼らがやりたい「革新的な事業領域で革新的な変化」を起こすことの難しさを実感し、組織自らを「チェンジ・エージェントへ変身すべく」、Alphabet創設を選択したのではないかと思う。また、これは言い換えれば成功した大企業が必ず陥る「大企業病」への「危機意識」で、それを防ぐためには、「自らが変化する必要性に迫られた」ともいえる。

私は199910月集英社の雑誌「BART」の取材のために、編集者と一緒に日本人で初めてBrinに直接インタビューした経験がある。Googleはその年の82500万ドルの資金をVCから調達して、Mountain Viewのオフィスに引っ越してきたばかりで、当時24歳のBrinの部屋には段ボール箱や自転車が置いてあり、スタンフォードの学生の部屋みたいだったのを記憶している。取材後に編集者と2人で「Googleってとんでもない企業になると思う。何とか彼らに投資できないかなあ?」と、暗い駐車場を歩きながら話しあったことを思い出す。あれから16年、まさに予想したとおりになり、あの時の会話にもっと真剣に取り組めばよかったとつくづく実感する。

ドラッカー教授が指摘するように、企業は「チェンジ・エージェント」であり続けなければ、失墜の可能性を常にはらむ。組織全体およびリーダーとなるべき経営者の「変革者」の意識が欠落すると、どんなに優れた企業であっても、成長は鈍化する。GoogleAlphabet創設は、少なくとも将来を見据えたProactiveな経営判断で、これによって今後示されるGoogleの革新性を、ぜひこの眼で見たいと思う。それは多少でもGoogleと歴史的な行きがかりのある、私の個人的な想いでもある。

 

 

日本語にはない「RESPONSIBILITY」と「ACCOUNTABILITY」の違いとは?

なぜか、先週から英語の“responsibility” “accountability”という言葉がアタマをぐるぐる回っている。辞書ではともに「責任」と訳されて、「accountability」は「 説明責任」といった注釈がついているが、英語本来の意味からすると時制とその用法に違いがある。

•  「responsibility」:これから起こる(=未来)事柄や決定に対する責任の所在を示す。

•  accountability」:すでに起きた(=過去)決定や行為の結果に対する責任、またそれを説明する責任を表す。

また、この2つの言葉の持つ、もう1つの側面は以下のような時に使われるという用法の違いも大きい。

•  responsibility」:「誰の責任であるのか?」という時に使われる。

•  accountability」:「誰が責任を取るのか?」という時に使われる。

 英語では以下のように説明されている。

•  responsibility」:Responsibility may refer to: being in charge, being the owner of a task or event.

•  accountability」:In ethics and governance, accountability is answer-ability, blameworthiness, liability, and the expectation of account-giving.

以下の英語の説明は的を得ていて、responsibility」は他の人と共有することは可能だけど、「accountability」は他の人と共有できないという点が大きな違いだという指摘は納得できる。

The main difference between responsibility and accountability is that responsibility can be shared while accountability cannot. Being accountable not only means being responsible for something but also ultimately being answerable for your actions. Also, accountability is something you hold a person to only after a task is done or not done. Responsibility can be before and/or after a task.

日米間のビジネスで、この「責任」という言葉に関して、かなり大きな温度差を感じる。米国ではまず真っ先に、「このプロジェクトあるいはタスクは誰々が責任者である(役職に関係なく)」ということを全員に明示して、彼あるいは彼女を中心にプロジェクトがスタートする。日本ではそれとは異なり、「まず担当者(=責任者とは決して言わない)」を紹介されて、部署のチームメンバーの構成と紹介が始まる。もちろん、プロジェクトは「担当者」が「窓口」となり進行していくが、「責任を取る」という表現で「accountability」を背負う人が不明のままに推移するパターンがかなり多い。私が突っ込んで「責任者(=意思決定者)は誰ですか?」と質問すると、「あえて言うならば部長(=上司)になります」という答えが返ってくる。ただし、長い間プロジェクトを一緒にしてきても、「その部長」が意思決定をした様子はなく、また滅多に会うチャンスもなく、契約書の「部長のサインあるいは印鑑」のみしか、私たちは知らない場合がよくある。

日本のビジネスのやり方は、「責任」を決して個人に落とし込まず、「部門、部署、チーム」といった人格を持たず「責任所在が曖昧な組織」に紐付けて、実践することが大きな特徴で、「個人のがんばりの総和」ともいうべきものが、この不思議なビジネスエクササイズを支えている。またあえて「Job description」も明解にしない理由も、部門を越えてお互いが支援できる融通さ(フレキシビリティ)につながっていると思う。私は別にこうした日本的なビジネスの仕方を悪いとは思っておらず、日本の企業の間では十分通用するやり方で、それで成功しているときは問題はないと思う。ただし、コトが悪いほうに転んだ際には、このやり方では、「なぜ、こういうことが起きたのか?これは誰が責任を取るのか?」という「accountability」が不明のまま、原因究明が行われず、同様な失敗を今後も繰り返す可能性が高いという点は指摘したい。

日本には、「傘連判状」という特殊な署名形式がある。江戸時代に農民たちが一揆を起こす際に、誰がリーダーであるかをわからなくするために、傘が開いたように円形状に順不同に署名するもので、真ん中は「空(何も書かれていない)」状態になっていた。当時一揆のリーダーは打ち首獄門や磔刑など厳罰が処せられたために、「責任者を隠す」ために利用されていたもので、「accountability」という「誰が責任を取るんだ?」という部分を、最初から不明確にし、尚且つ署名した人の上下関係まで曖昧とするものだった。

 日本での昨今の企業の不祥事をつらつら眺めていると、ずいぶん多くの人たちは「accountability」と「responsibility」の違いを認識していないということを実感し、さらにこうした企業文化の中には、この「傘連判状」の遺伝子が無意識のうちに埋め込まれているのではないのか? という疑問すらわいた。あまりにも「空」な状態で「責任を説明されても」、誰も納得できないし、「傘の中」に署名した以上は、「すべての人に責任がある」という自覚が必要だと思う。ビジネスにおいては、往々にして英語的なアプローチの方が、物事がクリアになる場合が多い。私個人としては、明解に「accountability」と「responsibility」を使い分けて、「責任」の意味を考えながら行動したいと思う、しんどいけれども。

「DISRUPTIVE INNOVATION」が連発される今、UBERには大人になってほしい

今週はNYCの市長Bill De BlasioUber戦いが激化している。メディアの論調は、常にProgressiveを旗印に改革を推進しようとしてきた市長が、市長選で35万ドルの政治献金をタクシー業界から受けているためか、その圧力に屈して、Uberへの規制強化を図ろうとしていると指摘している。市長は、Uberの急増によってNYCの交通量が増加し、このままで行くと1年以内に25000台の増加となり、それでなくても酷い交通混雑がさらに悪化するので、Uberに対して規制をかけると主張している。それに対して、UberはTV広告とアンチ市長の政策へのPetition署名のアプリで、現在対抗中である。そのTV広告では、深夜NYCで仕事が終わりすぐにでも帰宅したいが、マイノリティ(非白人)であるためにタクシーに乗車拒否されるユーザの例や、副業で少しでもお金を稼ぎたい、あるい失業中で何とか収入を得たいと思うUberドライバーの現状を訴えている。アプリでは通常のUberの車の種類選択以外に「De Blasio Ride」というボタンがついていて、それをクリックすると市長の政策に反対するPetitionページに飛ぶ仕掛けになっている。

なぜここまで、Uberが注目されるのか? 言うまでもなく、過去1年間で彼らのビジネスの成長が異常なくらいに早く、Business TravelersのGround TransportationのExpenseで、とうとうタクシー(43%)を追い抜いて、Uberは55%(2015年第1四半期から大2四半期は153%増)までに一般に浸透してしまったことが大きな要因である(Certifyの調査による)。この数字は、地元San Franciscoでは79%という高率に達する。2014年第2四半期はUber 8%、Taxi 37%、Rental Cars 55%であったが、現在は、Uber 31%、Taxi 24%、Rental Car 45%と、「Uber Effect」は大きく両者のビジネスに影響を及ぼしている。また、当初はUber利用あるいはビジネスモデルに懐疑的だった一般の人たちも、タクシー経験の酷さから、周囲に薦められてUberを使い始めて、その簡便さと使い勝手の良さという「User Experience」によって、結果彼らも容易くユーザになるという、友人知人による「Network Effect」も大きく作用している。

もちろんUberの抱える問題は単純に割り切れるほど簡単なものではなく、「ドライバーは雇用社員か契約社員か?」、「事故における保険支払い問題」、「タクシー業界では身障者向けの台数確保の規制があるがUberには適用されていない」等々、数え上げればきりがないほど問題は山積されている。また、UberはすでにUnicorn企業として巨大化している中で、各国の規制に歯向かうように、諸外国で大きな軋轢を起こしている。この「スタートアップの暴れん坊将軍」のようなUberに対して、組合勢力への支持を取り付けたい民主党サイドは、大統領候補のHillary Clintonも、Uberのような契約社員による「on-demand economy」は、労働者の最低賃金確保の脅威となると警告を発して、規制する立場をとっている。 

私がポイントアウトしたいのは、こうした政治家たちまで巻き込んだ一連のUber関連の問題で、「なぜUberがこれほどまでに一気に一般に浸透したのか?」という問いの答えである「なぜ一般利用者はタクシーに乗りたくないのか?」という、根本的な問題解決への指摘が欠落している点である。要はユーザは「すぐつかまらない、すぐ来ない、運転手が道を知らない、クレジットカードの支払いを嫌がる、無愛想で失礼な態度、料金が高い」といったタクシー経験が嫌だから、タクシーに乗りたくないのである。Uberはこれらのタクシー問題を「アプリと位置情報のソフトウエア」で解決し、割安な料金で、さらに社内で支払いをしなくてもいいようにした。また、ドライバー側は、自分で時間の管理が可能なサイドビジネス、あるいは職探しの間の副業、あるいはメインの職業として、Uberを選んでおり、子育て中の主婦から学生まで、さまざまな人たちがDriverとなって働いている。

タクシー業界にとって見ると、Uberは、まさに「Innovative disruptor」であるが、利用者にとって見れば、「21世紀のタクシーのあるべき姿」で、今までそうした問題を改善せずに、利用者の不満を無視してきたタクシー業界への目は当然冷たい。ちなみに2014年のCNBCが選んだスタートアップ企業の「Disruptor 50」のリストにあがっているスタートアップ企業のビジネスモデルやその製品・サービスの特徴を見ていると、なぜ既存の企業や業界はユーザレベルの目線で、そのビジネスの向上を図らなかったのか?とつくづく実感する。また、こうした論議でDisruptorsを擁護する人たちが連発するキーワードは、「Sharing Economy」や「Network Effect」といった言葉で、反対にDisruptorを規制しようとする人たちは、「別に彼らは何もシェアしていない、単なるBusiness Exchangeで、無秩序なStraight Free Marketだ」として、その「Radical」な部分を危険だと指摘する。

ここで改めて、「Disruptive Innovation」について考えてみた。私のごとき浅学な人間が説明する必要もないくらい、ハーバード大学ビジネススクールのClayton M. Christensen教授によって紹介された「Disruptive Innovation(破壊的イノベーション)」は誰もが知っている有名なコンセプトである。いろんな人が分かりやすく説明している中で、私は、以下の栗原潔氏の説明が的を得ていると思う。

"業界の機能強化競争により、これ以上機能を強化しても顧客が十分に価値を享受してくれなくなったovershooting(「過剰満足」)状態になったときに、機能そのものは必要十分レベルに抑えて、「安い」、「便利」、「使いやすい」などの別のベクトルで攻めてくるプレイヤーが市場を奪うパターンが数多く見られます。これが、破壊的イノベーションです。"

この「破壊的イノベーション」を、さらに「Low End Disruptive Innovation(ローエンド型イノベーション)」と「New Market Disruptive Innovation(新市場型イノベーション)」は2つに分けられる

  • Low End Disruptive Innovation: 既存の主要市場の下層に位置する顧客対応の製品・サービスで、最低限の性能は十分クリアしている。
  • New Market Disruption Innovation: 性能は劣っているが、新しい属性(たとえば単純で便利)においての性能に向上が見られるもので、従来はお金もスキルも不十分なために、既存顧客層ではなかった新たな層という意味で新市場という概念。

この「Low End Disruptive Innovation」は、言い換えると、「新たなビジネスモデルを考案、組織化し、主要顧客の技術的要請にもある程度応えながら低価格化を可能にしている場合」となり、まさに上述のUberも含めて「Disruptor 50」のリストにあがっているスタートアップの多くは、この「ローエンド型破壊的イノベーション」の事例あるいは両者のミックスといったことがいえる。

規制とは、「その製品やサービスを利用するユーザの安全を守るために作られたもの」で、既存の業界(企業)のみを保護するためのものではない。また規制が、当初作られた時にはBest Practiceでも、テクノロジーの進歩、ユーザの生活様式の変化など、時代が進むにつれて、当然「規制の進化」も必要となる。Disruptorがどんどん出てくることは、新たな雇用やインディペンデントな企業の創出にもつながり、ユーザにとってのみの利便性があるだけではない。「disruptive」を日本語では破壊的と訳しているが、この単語には「混乱を起こさせる」、「秩序を乱す」といった意味があり、こっちの意味のほうがニュアンスとしてはあっているように、私は思う。誰かが「Catalyst」として、その業界や市場の秩序を乱し、混乱を起こして、それがきっかけとなって、エンドユーザの今の生活に最適なビジネスエクササイズに進化していくべきだと思う。

また無秩序は困るが、既得権を守ろうとする業界のために、Disruptorがどんどん圧迫されて消滅してしまうのも困る。特にその製品・サービスが一般消費者の日常生活にすでに根ざしているような場合、多くの利用者がそれによって大きな被害を受ける。「暴れん坊将軍」的な行動は、その企業規模からいっても、そろそろ慎む時期に来ており、Uberは自社の「持続的成長を維持する=ユーザに安定的なサービス提供をもたらす」ために、真剣に規制する側と向き合い、折り合えるつける大人の「Attitude」を見せてほしいと、いや見せるべきだと思う。

TECH WORLDのGENDERに関して、感じたこと。

おとといのAppleの「Worldwide Developers Conference」のことをゆっくり読もうと思って、SF ChronicleのBiz&Tech欄をフィジカリーに開いたら、アプリのアップデイト以上に、キーノートで女性がプレゼンテーションに立ったことに注目していた。「Apple Pay」のVPのJennifer Baileyと、アプリの説明を行ったSusan Prescottの2人の女性が、WWDCのステージにキーノートとして立つのは、2010年以来5年ぶりということで、SF Chronicleは、Googleも含めて、シリコンバレーのテックジャイアント達も、社員の男女数の格差に、何らかのアジャストメントをしようとしていると報じている

米国では、カンファレンスの男女のトイレの長蛇の列の有無によって、業界の男女格差を判断するが、マーケティング関連のカンファレンスではテック業界とは反対に、女性用トイレに長蛇の列ができる。米国はマーケティングやPublic Relationsの業界はとにかく女性ばかりで、うちの義理の娘たちは、私の日本でのマーケティング関連のコンファレンスの写真やスピーカーのリストを見て、女性が異常に少ないことに驚愕している。

いまさら言うまでも、シリコンバレーにおけるテック業務従事者数の男女格差は非常に大きい。テック以外の業務にはもちろん女性は多く勤務しているが、全体の印象も含めて、シリコンバレーでは男女格差が目立つ。以下はテックジャイアントのテック業務とリーダーシップポジションにおける女性比率である。
 

  • Appleのテック業務に従事する女性:20%

  • Googleのテック業務に重視する女性:18%

  • Microsoftのテック業務に従事する女性:17%

  • Appleのリーダーシップのポジションに従事する女性:28%

  • Googleのリーダーシップのポジションに従事する女性:22%

  • Microsoftのリーダーシップのポジションに従事する女性:18%

要は全体の2割以下しか女性がテック業務についていないというのが現時点でのリアリティである。これは、シリコンバレーの元締めともいうべきSand HillのVCたち、すなわちCaucasianの男性がマジョリティのVC Worldの、無意識あるいは意識下の、自分達とは異なるグループへのステレオタイピングな認識に起因する、と思う。彼らが投資するスタートアップや企業を見れば、彼らが何を重視しているかがよく見える。はっきり言えば、マイノリティ(アジア系を除いた非白人グループや女性)と、さらにシニア層にはお金を出さない。女性を含むマイノリティグループがテック業界でスタートアップとしてビジネスしにくい大きな理由は、Capitalへのアクセスがほとんど出来ないという点である。いろいろな記事でも取り上げられていた1つの事例だが、ベイエリアのVCたちに、50代のアフリカ系アメリカ人女性が、ヘルスケアに関するビジネスプランをピッチした際、VCたちはその容姿(彼女の身体は非常に大きい)を見ただけで、最初から聞く耳を持たず、非常に失望したと、その起業家はインタビューで応えていた。

この状況下で、Intelは2020年までに、自社内のDiversityの課題解決のために、マイノリティの就労比率改善(24%の女性比率を米国就労女性比率の47%に、ヒスパニックとアフリカ系アメリカ人比率も12%を26%に引き上げる)に、3億ドルを支出すると宣言した。また昨日Intelは、シリコンバレーのカルチャーにチャレンジするかのように、女性とマイノリティによるテクノロジースタートアップのための投資ファンドとして1億2500万ドルを供出することを発表した。

このファンドの要件は、スタートアップ企業は、女性あるいはマイノリティが創設者またはCEO、あるいはトップ経営陣に少なくとも3人の女性あるいはマイノリティがいることが必須条件となっている。すでにVenafi(cybersecurity firm)、CareCloud(Internet software for the health industry)、Brit + Co.,(provides classes and an online market for selling do-it-yourself products)、Mark One(makes a “smart” cup that analyzes the nutritional content of beverages)といった企業がファンドを得ている。Intel CapitalのVPのLisa Lambertは、「これは単なるソーシャルプログラムではなく、ビジネス機会として、お互いに成長するためにFundをしっかり見極めていく」と、明解に趣旨を語っている。Intel 以外では、AOLが女性によるスタートアップに1000万ドル、ComcastはマイノリティのスタートアップへのSeedファンディングとして2000万ドルといったファンドがあるが、NPOではなく、For Profitのマイノリティによるスタートアップへの投資ファンドは、非常に稀である。

テックワールドに従事する、あるいはリーダーシップポジションに、女性も含めたマイノリティが少ないという現実には、社会構造およびカルチャーも含めた複雑な要素が絡み合っていて、一刀両断に切れる問題ではない。また、一口にマイノリティといっても、女性問題と人種的な問題を同じ俎板で料理することも出来ない。ただし、ここにきてGeneration Y & Zといった若年層は、Genderや人種的な抵抗感はかなり少なくなってきており、今後こうした格差は縮まっていく可能性があると、思う。彼らには、ステレオタイプな既成概念、あるいは固定概念はなく、様々なことに「Authenticity & Transparency」を求めており、企業も、そうしたこれからの中心世代への対応を確実に迫られている。

以下は、米国の女性のCEOのトップ10のサラリーのリストである。調査では340社対象として、女性のCEOは17人しかリストには入っていないが、2014年のCEOのサラリーの中間値は、男性が140万ドル(0.8%減)、女性は1590万ドル(21%増)と、女性CEOのサラリーは男性より大幅に上昇中である( Equilar & The Associated Pressによる)。人数的には女性CEOは5%しかいないが、金額は決して悪くはない。実績をたたき出すと、男女差は関係なくなるという、証拠である。

No. 1: Marissa Mayer, Yahoo:4210万ドル(69%増)
No. 2: Carol Meyrowitz, TJX Cos., :2330万ドル(13%増)
No. 3: Margaret “Meg” Whitman, Hewlett-Packard:1960万ドル(11%増)
No. 4: Indra Nooyi, PepsiCo:1910万ドル(45%増)
No. 5: Phebe Novakovic, General Dynamics:1900万ドル(15%増)
No. 6: Virginia Rometty, IBM:1790万ドル(28%増)
No. 7: Marillyn Hewson, Lockheed Martin:1790万ドル(13%増)
No. 8: Patricia Woertz, Archer Daniels Midland:1630万ドル(138%増)
No. 9: Irene Rosenfeld, Mondelez International:1590万ドル(14%増)
No. 10: Ellen Kullman, DuPont:131万ドル(1%減)

自らを振り返ってみても、過去35年間のキャリアは、当初女性を守る法的規制もなく(男女雇用平等法の前だったので、現在の男女差別を差別と認識することすら出来ない時代)、常に道なき道ともいうべき密林を、手刀だけで切り開いてきたような感があり、自分が通ってきた道を他の女性に薦める気はさらさらない。また、そうする必要もないほど、社会的にも文化的にも、Genderはほとんど意識する必要がなくなり、多くの女性のキャリアの問題は、「育児と仕事の両立」に焦点が移っている。財政的にも大きな負担を抱えながら育児と仕事を両立させている女性達は、上述のYahooのMayerのような高額所得の女性CEO(多くのサポートを抱えられる財力のある)の発言や行動への見方は厳しい。

テックワールドの女性の役割の底上げを試みるならば、Intelのファンドのような取り組みも含めて、意識的に女性主体のビジネス育成プログラムや企業内の女性比率引き上げの法規制などをしていくのが、まず、初めの一歩としては正しいのかもしれない。数を増やさない限り、「玉石混交」のように、「玉」が生まれてこないのは世の常で、早くより多くの「玉」を増やすために、「石」の絶対値が必要だと思う。